連載

2024.12

【第4回】カフェから見える風景

病気を透明人間にしてしまった人たち

今回は病気と関わり合う中で、病気を透明人間にしてしまった人たちのお話をしていきたいと思います。

 

当然ですが、みんなそれぞれ違った病気との向き合い方をしています。例えば、一定数の方は「病気と闘う」といった表現を使います。「ああ、この方にとって病気は、自分の真正面にいてやっつけなければならない存在として認識しているんだな」と感じます。ある方は「病気は友達みたいなもの」と表現されていました。二人三脚をしているのだそうです。いつもは仲良く一緒に走っているのに、急にガッと脚を引っ張られて「ちっ!」と思うのだとか。とても個性的で好きな表現です。自分の隣に病気がいる方です。

 

たぶん理想的なのは、アイデンティティーの一つとして位置付けている方です。わたしで例えると、母である自分、職業人としての自分、そして病気である自分などです。大事なのは物事が起こるたびに、いずれかの自分が大きくなったり小さくなったりするのが自然なことであると受けとめることです。病気がちっぽけな問題に思える時も、病気に押しつぶされそうな瞬間も、自然なことだと感じます。時にアイデンティティーが病気にとって代わられているような方もいますが、この形の極端な例というだけだと感じています。

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